こんにちは!三国志アナリストの橘花美郁(たちばなみいく)です。昨年年末から福田雄一監督の映画「新解釈三国志」が公開されましたね。スマホゲームもいろいろあり何種類あるかわからないくらい情報が豊富で嬉しいですね。そんな大盛り上がり中の三国志業界ですが、相変わらず「謎キャラ」設定の荀彧について、今回はお話していきたいと思います。
- 荀彧はイケメンだったというけどなにをした人なの?
- アニメ、漫画、映画で荀彧を知って、興味はあるけど難しい本は読みたくない
な~ - イケメンていってもいろいろなタイプがあるけどどんな人なの
そういった疑問にお答えします。
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■本記事の内容
1、荀彧はイケメンだったというけどなにをした人なの?「みいく流解釈」で解説します
2、難しい本は読まなくてok
私のサイト全般ですが、難しい表現はなるべく避けてます。現代の感覚も取り入れてつつ読みやすく感情移入しやすいよう工夫しています
3、イケメンていってもいろいろなタイプがあるけどどんな人なの?
『二面性がある、やんちゃで古風な旗本の三男坊』
橘花美郁について
荀彧歴は30年ほど
イラスト投稿や同人活動、三国志関連サイト、自主アニメも作っています。荀彧伝現代語訳のサイトも運営しています。
この私がわかりやすく解説します☆
これが正解ではないかもしれないけど
荀彧様の心のうちを知りたくて、自分の人生を実験台にしている橘花美郁氏なので、
こういう荀彧像があるんや~とスパイスとして楽しんでもらえたら幸いです。
■1、荀彧はイケメンだったというけどなにをした人なの?「みいく流解釈」で解説します
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その1、曹操の片腕として活躍
その2、献帝を許都に招き、献帝自身と民心を安定させた
その3、後世に残る文学の一時代を企画プロデュースした
(裏方として、顔出しは少な目で)
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□その1、曹操の片腕として活躍
皆さんご存じのように、荀彧はまだまだ駆け出しのころの曹操のもとに身を寄せ天下取りの補佐をしました。
この頃、袁紹のところにお客さん扱いで滞在していたのですが(なんで滞在していたか…この辺もいろいろあるのでオリジナルでアニメ化予定です)
袁紹あかんわーってなって、いきなり曹操のもとに面接いったわけじゃなく、共通の友人たちが何人もいたので士官の選択肢の中にはもともと入っていたのかなと思います。
曹操のもとでは戦場ではなく、主に内政や人事、後方支援で適切な助言をしています。官渡の戦いでの現場のフォローとか、地元のいい人材をバンバン連れてきて曹操軍団を盛り上げたのも有名な話ですね。
入社時は「司馬」(軍事的な補佐、副官みたいな職)に配属されたのに、いつの間にか内勤に変わってる…なんで?
なぜ荀彧が後方支援を担当するようになった?
考察を記事にしました。
【みいくの注釈】荀彧様が美食家だったの知ってる?|橘美郁注 荀彧伝注釈
https://xunyuzhuan.blogspot.com/2014/12/blog-post.html
□その2、献帝を許都に招き、献帝自身と民心を安定させた
長安でホームレス状態だった献帝一行を救出し、曹操の天下取りに大義名分を与えました。
そもそも後漢時代の首都は洛陽でした。董卓が政権を握るようになり横領したり人々の財産や命を奪ったり好き勝手なことをしつづけました。国の金庫は空っぽだし、もう盗れるものは何もないと思った董卓は長安へ強制遷都します。そこでもいろいろ、本当にいろいろあって
(略)長安でホームレス状態だった献帝一行を救出し、当時の潁川郡許県に連れて行きました。許昌と名を改め、許昌を新たな首都に制定しました。
献帝を保護したことで、皇帝を補佐してる曹操はエライ!
曹操の言葉=献帝の言葉
と、認識されていくようになり、ほかの群雄たちは歯向かいづらい雰囲気を作りました。(中小企業において、社長がやれっていってました!って言われたらやらざるをえないな…みたいな雰囲気でしょうか)
※私の考察ですが、荀彧は献帝を助けに行ったほうがいいですよ、と早い時期に献策していたので「漢臣」「漢の人間だ」と言われがちですが、
もちろんそういう義の心もあったと思うけど、そのほうが天下取りゲームの中では有利に働くっていう計算も当然あったはずです。
(周りには言わないでしょうけどね)当時、献帝16歳。
当時の元服(成人)は過ぎたものの、荀彧から見たら自分ちの息子と同じくらいの年の子供。長安でホームレスしてたら可愛そうだと情がわいて助けたかったのもあるでしょう。
曹操のもとに行くずっと前、まだ平和だった洛陽の都で、荀彧は守宮令(しゅきゅうれい、宮中の文具類の管理、発注などを担当)をしていました。なので皇帝に会う機会もあったろうと思います。そのときは献帝じゃなく協皇子としてかもしれないですけどね。
仲良しの鍾繇から、長安であのときの協皇子がヤバいぞ!と聞いて、若いパパだった荀彧がじっとしていられない気持ちになったんでしょうね~♥素敵♥(その優しさが後々いろいろこじらせて行くことになるのですが…)
□その3、後世に残る文学の一時代を企画プロデュースした(裏方として、顔出しは少な目で)
正史では、曹操に対し折に触れて、国家として安定したいなら、
軍事も必要だけど古代の礼法をちゃんとやったり文学や教育もちゃんとやったほうがいいですよ!!と言い続けていました。曹操もその意見を気に入って受け入れていました。
荀彧の功績は、戦場での功績と違い、大将を何人倒したとか何人の兵士を率いているかとかじゃないので数値化されづらかったようです。
だから今でも謎キャラ扱いになってしまうんだろうな~と思います。
三国志では「天下三分」という言葉がありますが、実質は諸国から年貢は納めさせているから中央と地方自治国というパワーバランスだったと考えています。劉表が年貢おさめてないからそこを責めましょうというくだりが正史に見えます。いつまでも戦争が続いたら人々は苦しくなる、早く曹操筆頭に国家としての機能を回復させ皆を平和な生活に戻してあげたいという気持ちがあったんでしょう。
実務は若手がやってたり、詩作や文学の作品発表の場は曹操一家に華持たせた形になるので、これが荀彧の功績と思ってなかったという方もおられるでしょう。
あくまで自分は黒子で、業務が円滑の回るように立ち回る。
でもその人が退職したらいきなり業務が回んなくなった!!みたいな
そんな重要な人物だったわけです。
※私の考察ですが、
荀彧は詩作に堪能だった?荀彧の知られざる一面\新発見かも/
(このはまた次の機会に!)
■2、難しい本は読まなくてok
三国志って歴史ものでしょ?映画やコミックとかはいいけど漢文とかよめないよ!難しい講義みたいなのはツライ…。
ですよね~ご安心くださいw私のサイト全般ですが、難しい表現はなるべく避けてます。現代の感覚も取り入れてつつ読みやすく感情移入しやすいよう工夫しています
▼10年程前ですがこんな記事を執筆しました
荀彧が現代に生まれていたら…きっとこんなかんじ?
荀彧の部屋♥現代版|潁上華電視台 DAY1
https://miikutpz.sakura.ne.jp/site/jun-iku-no-heya-3.html
(ちなみに漢文とか好き♥ガチ正史の現代語訳に興味ある方は、こんなのもやってますので見てみてください。
橘美郁注 荀彧伝注釈 https://xunyuzhuan.blogspot.com)
今は現代語訳された本が大量に出回っているし手軽な文庫本も多い。
私自身も、1990年代に放送されたアニメ三国志で興味を持ち始めたものの、当然知識ゼロでした。なんならネットもスマホもない頃です。
当時の私は、超長編なのはわかったからまずざっくりでいいから全体像を知りたいと思い、最初は厚さ1cmほどの文庫本、青い鳥文庫の「三国志」から始めました。
(※今は増版されて分冊化してるようです)
人名や地名覚えるのに苦労しましたが、好きな人の情報なら苦にならないですよ♥
だんだん知識が増え、物足りなくなって次々読みたくなりますよ。
なので今は全然わかんなくても問題ありません、人によって楽しみ方はいろいろなので。歴史書っていうよりここまでアレンジしてもいいの?こういう解釈があるの?と幅に驚かされます。
三国志とはめちゃくちゃ懐が広いジャンルだと思います。
▼古い記事ですが私が読んだとこがある三国志関連本についての記事
ぷちレビュー付きw置いときます
ライブラリー1|潁上華電視台DAY1 https://miikutpz.sakura.ne.jp/site/library1.html
ライブラリー2|潁上華電視台DAY1 https://miikutpz.sakura.ne.jp/site/library2.html
懐が深いといえば、三国志業界入りたての私にとって衝撃だったのはやっぱ「天駆け(テンカケ)」ですかねえw
「天駆け」とは1985年にTVで放送された「三国志~天駆ける英雄たち」というアニメです。1991年にも「横山光輝三国志」がアニメ化されていて私はそれをみて興味持ったんですが、昔も三国志のアニメやってたよ!と友達がVHS貸してくれたんです。…パンチ効きすぎてました!…そししびれましたw
なにこのフリーダムな三国志!!同じく横山光輝原作なのにぜんっぜん別のキャラやん!しかもなんで曹操が金髪?女于禁ってどゆこと?双子の、兄弟って?!はいぃ?誰がやねん!(見たらわかります)
三国志ってこういうかんじなんだ…ちゃんと難しい歴史勉強しなきゃ入れないようなジャンルかと思ったけど、こういう解釈つーかアレンジもありなんだ…とちびっこの私は安堵したのでした。
…VHSなんてもうないかと思ったけどU-NEXTの見放題の中にありました。あるんやw いろいろネットで旧作アニメ配信してますもんね。
トライアルで30日間無料で見れるようです→日本最大級のビデオオンデマンド<U-NEXT>無料トライアル実施中!
では荀彧に話を戻しましょう。
■3、イケメンていってもいろいろなタイプがあるけどどんな人なの?
現代での正妻・橘花美郁はこう見てるw
美郁からみると、『二面性がある、やんちゃで古風な旗本の三男坊』ってかんじ♪
・その1:二面性がある、どっちの世界でも生きていける柔軟さ♥
・その2:お坊ちゃま気質でこだわり屋さんなところ♥(食や着物、生活面)
・その3:人当たりは優しいけど、割と我が強く芯を持ってるところ♥
その1:二面性がある、どっちの世界でも生きていける柔軟さ♥
荀彧は曹操の一歩後ろにいて静かに微笑んでいるようなまじめな名補佐役…
というのがパブリックイメージでしょうか?そういう荀彧様も素敵♥とおもいつつ、私はもっと図太いところもあったんじゃないかと思いますね(笑)
二面性というのは清流派の名家の生まれなのに宦官家の娘と結婚し、生涯つかえた人物もまた宦官家の人間だったり、異なる世界にもどんどん入れて行けちゃうところ。
本来、位の高い人がとるべき作法を嫌がり、ラフに過ごしていたとか。(位の高い人は敷物を重ねて座る習慣があったけど、いらんと放っていた)。士人(下位の職位の人たち)にものへりくだり、エラそうな態度をとらなかったと正史にも書かれています。
世間の常識より、自分で決めていいと思う方に進む。
現代風にいえばボーダーレスな感覚を持っていたからこそ、流動的な乱世の中でもいいポジションでいられたんでしょうね。
その2:お坊ちゃま気質でこだわり屋さんなところ♥(食や着物、生活面)
裕福なおうちだったため、乱世で世の中がバタバタしていてもマイペースを貫く荀彧様って素敵♥
荀彧様とお香の話&
荀彧様は美味しいものが好きっていう乱世感まったくなしの記事です。
荀彧の部屋♥令君香|潁上華電視台 DAY1 https://miikutpz.sakura.ne.jp/site/jun-iku-no-heya-1.html
【みいくの注釈】荀彧様が美食家だったの知ってる?|橘美郁注荀彧伝注釈 https://xunyuzhuan.blogspot.com/2014/12/blog-post.html
その3:人当たりは優しいけど、割と我が強く芯を持ってるところ♥
荀彧様は外面はいいけど、結構我が強くて気性が荒い瞬間もありますよ…
そうじゃなきゃ曹操の片腕なんて務まらないですからねw
私もはじめは「荀彧って漢王朝のために命を捧げたのだ!感動!」って思ってましたけど、長年連れ添ってる間に全然ちがうことがわかりましたw
これはおじいちゃんの荀淑とそっくりなので、血は争えないな…って感じですが、守宮令(しゅきゅうれい)の官職をもらったものの、こんなとこで働けるか!!と田舎に転勤したいですと申し出て、そのままバックレてしまう…
大方、先輩の宦官にキモイこと言われてキレたんでしょうw
(守宮令職は宦官家の人間が就くことが多かったようなので)
自分でもキレキャラなの自覚していて、普段はなるべく上品にスマートな応対を心がけていたんでしょうね。なので表向きは優等生のていですが強気で自分を全然曲げないですね。でもそのギャップがまた素敵♥
※私の考察ですが、荀彧はお顔もよかったと言われてますが
「かっこいいね♥って言われると怒る方のイケメン」だと思います。
名家の出だし、家の財産や実家のブランドで寄ってくる人が多い、ちやほやされて育ったからこそ「俺の何がわかるの?」って怒りそう。
見た目やお金じゃなく、自分の内面を見てよ!っていう方のイケメンだと感じています。
背も高いしイケメンだけど女の子に囲まれるのは苦手で、逃げ回るから
「なによ!どうせ曹操殿とうまくいってないんでしょ!ヽ(`Д´)ノプンプン」
てかげでディスられちゃうんですよ~きっと。
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こんな感じで、当サイトでは三国志話いろいろ(偏ってますが)発信しています。Twitterもやってます。最新情報はこちら→ https://twitter.com/miiku_tpz
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