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☆魯仲連(ろちゅうれん)とは?荀彧様がリスペクトしていた人はどんな人?〇〇に帝位をあきらめさせた?!人

☆魯仲連(ろちゅうれん)とは?荀彧様がリスペクトしていた人はどんな人?〇〇に帝位をあきらめさせた?!人

 

魯仲連(ろちゅうれん)とは?荀彧がリスペクトしていた人はどんな人?《戦国時代の遊説家》


こんにちは!プロデューサーの橘花みいくです!

三国志好きな方あるあるだと思うんですが、三国志について調べていたら脱線してその前後の年代まで推し幅が広がっていく…

あれもこれもそこつながってたの~?って時間忘れて読みふけってしまいますよね!

荀彧/新レイトハンオルタナティブ--荀彧伝注釈-
荀彧 Ⓒたちばなみいく



荀彧といえば親戚以外では曹操最古参の参謀であり、圧倒的信頼感とまっすぐな言動から当時たくさんの人からリスペクトを受けていたといわれています。


荀彧のふるさと、潁川郡潁陰県が許都に生まれ変わったため当然といえば当然かもしれないですが地元の仲間が荀彧を慕ってあつまり、曹操旗下の人材に加わっていったといわれています。


あの司馬懿も、曹操からの仕官は断ったくせに荀彧に会いたくて結局仕官することになりましたからねw

荀彧は主に政治、人事、文化で功績を残し、また生き方も当時としては、独特で当時たくさんの人からリスペクト受けていたそうです。


そんな

許都のキーマン(ファッションリーダー?)荀彧が憧れた人っているの?

歴史書にエピソードが残されている人物として魯仲連がいます。


魯仲連って誰?ていうかいつの時代の人で何した人?

読者の皆さんの代わりに調査してきました~







現代の私たちが三国志の人物たちに憧れるのと同じように

当時の英傑たちがどんな人を話題にあげ、リスペクトしてたのか興味ありませんか?



「興味はあるけど難しい古典とかは無理」

「図書館とかにガチに探しに行くのはしんどいのでスマホでささっと調べたい」

「三国志好きだから面白ネタがあったら聞いてみたい」





そんな方は是非最後までお読みください。



\みいく流解釈!いろいろあるよ/

●「潁上華電視台DAY2」このブログです

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●「橘美郁注荀彧伝注釈」

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橘花美郁

執筆者紹介◆橘花美郁について

ファン歴は30年ほど

イラスト投稿や同人活動、三国志関連サイト、自主アニメも作っています。荀彧伝現代語訳のサイトも運営しています。

これが正解ではないかもしれないけど荀彧様の心のうちを知りたくて、自分の人生を実験台にしている橘花美郁氏なので、こういう荀彧像があるんや~とスパイスとして楽しんでもらえたら幸いです。

イラスト投稿や同人活動、三国志関連サイト、自主アニメも作っています。荀彧伝現代語訳のサイトも運営しています。アニメの制作現場でアシスタントプロデューサー、設定制作を担当。今は元請けのインディーズアニメ企画製作会社、アニメ制作会社を作るべく奮闘中です!





1、「魯仲連(ろちゅうれん)とは」《戦国時代の遊説家》






魏書荀彧伝で曹操の会話の中に魯仲連の名前がでてきます。せっかく恩賞(褒美)をあげたいのに辞退してばかりの荀彧に対し、曹操がやきもきしてワレ何魯注連の真似さらしとんねん!はよ受けとれやーといらだつくだりがあります。


「魯仲連」というワードは、曹操、荀彧の共通の認識のようです。


(漢帝国からみて、曹操だけ恩賞をもらうと荀彧の手柄を曹操が盗ったように見られるから)



それでも拒否りつづける荀彧様のマイペースさ神経の太さ…w 素敵です

最終的には恩賞受けとるのですが、しぶしぶ。


(1)Wikipediaには記載あり、でも逸話は多くはない


Wikipediaにも記載あるものの…そんなに細かく紹介されてないじゃん!

正直、曹操や荀彧様の方がエピソード数多いと感じました…



孫子とか韓非子とか皆が知ってる勢じゃなく、当時としても「知る人ぞ知る名士」という位置づけだったのかあ…



Wikipediaに紹介されてる逸話として、

「義不帝秦」
「燕将に書を送る」

があります。二つとも魯仲連の口利きで大事が定まり、本来なら国家の功績トップ賞もらえるのに礼には及ばんとあっさり断ってる話です。



こういう魯仲連さんをリスペクトしてる荀彧様って…



30年連れ添ってる私なのであえて言いますがw、

荀彧様ってまあゼイタクでカッコつけですよね。

そこが素敵なんですけどね♪

(2)ざっくり言うと戦国時代の人で《遊説家》として有名だった☆
〇〇に帝位をあきらめさせた?!人



魯仲連の有名なエピソードとしては、平原君を助けた話があります。


魯仲連が趙の平原君のもとに遊説していた時、趙の都・邯鄲は秦に完全包囲されていました。魏からも新垣衍が送り込まれ秦の昭襄王に帝位につくようそそのかすのですが、魯仲連の機転でこれを撃退します。
※この魏は曹操の魏ではなく戦国時代の魏

昭襄王が帝位ついてもデメリットしかないから!と解き帝位につかないことを約束させたのでした。
(昭襄王は過去に西帝を名乗った時があったが一瞬でやめた経緯がある)
そして秦軍は邯鄲の包囲を解き、撤退していくのでした。



ん?帝位をあきらめさせた???


どことなくどこかの曹操さんが皇帝にならず、魏王でやめといたくだりがちらつくんですが…ww


荀彧様、魯仲連でイメトレしてたんですかねえ…w



曹操に「魏王はいいけど魏帝はだめですよ!」ってこの頃から植え付けていたのかしら。

伏線にかんじられてしゃあないw



▼みいく画☆魯仲連

魯仲連Ⓒ橘花美郁
魯仲連  Ⓒたちばなみいく




(3)魯仲連て性格的にはどんな人?



性格的には謎ですね…   自由人ではあると思います。



次男である可能性が高いです。
三国志ファンは知ってる方も多いでしょう。

伯仲季淑


兄弟順を表すため、名前や字によく使われる漢字です。


伯→長男  

仲→次男

季→三男

淑→四男

日本の名づけの「一郎二郎三郎四郎」みたいなニュアンスでしょうか。

この法則から「仲連」は次男である可能性が高いと推測できます。



お金や名誉よりも大事なことがある!みたいな人。士官に興味がなく、どこに属すでもなくただ正しいと思うことを各地で説いて回る。各地で自分の荀彧が人々にお金を分けまくったり個人の財産を残すことにあまり興味を持たなかったのというのはこの魯注連を意識してるのかもしれないですね。




今風にいったらミニマリストの先駆けだったんでしょうねえ。

(ちょっと違う?)

曹操からしたら、

「仕官に興味ない」とか「お金や名誉なんていらない」とか面と向かって言われたら俺の存在意味は?って君主(上司)としてドン引く案件だと思うんですが… 

曹操様の立場も考えてあげてくださいよ、荀彧様w

物怖じせずいいたいこといえる関係性は良いことですけどね~


それでも側に置いときたがるなんてなんて荀彧様は愛されてるんだw




「彼の弁舌は百万の兵にも値する」なんて誉め言葉がありますけど、
荀彧は武芸ではなくそういう戦い方を目指していたのかもしれないですね。



※魯仲連関連についてはネタの宝庫すぎるので、(二虎の元ネタとか)
このあとも引き続き調査していきます~

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