正史・魏書荀彧伝、後漢書荀彧伝に明記されてないが荀彧は荀子13世の「末裔」の一人である可能性が高い
こんにちは!三国志アナリストの橘花みいくです!
最近は中国史を題材にした漫画やアニメ、映画などが大豊作で歴史ファンとしては嬉しいことですね!
半面、歴史物は実在の人物たちを扱っているため、探れば探るほど史実や情報が出てきててんやわんやになりますよね?
読者の皆さんの代わりに調査してきました~
当ブログ『潁上華電視台(えいじょう か でんしだい)』は先秦、漢魏晋などの歴史上の人物を史実に基づきながらわかりやすくカジュアルに解説していくサイトです☆
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「興味はあるけど難しい歴史書とかは無理」
「図書館とかに探しに行くのはしんどいのでスマホでささっと調べたい」
「三国志好きだから面白ネタがあったら聞いてみたい」
そんな方は是非最後までお読みください。
\みいく流解釈で三国志を解説!/
執筆者紹介●橘花美郁について
ファン歴は30年ほど。
イラスト投稿や同人活動、三国志関連サイト、自主アニメも作っています。荀彧伝現代語訳のサイトも運営しています。
この私がわかりやすく解説します☆
これが正解ではないかもしれないけど
荀彧様の心のうちを知りたくて、自分の人生を実験台にしている橘花美郁氏なので、
こういう荀彧像があるんや~とスパイスとして楽しんでもらえたら幸いです。
イラスト投稿や同人活動、三国志関連サイト、自主アニメも作っています。荀彧伝現代語訳のサイトも運営しています。アニメの制作現場でアシスタントプロデューサー、設定制作を担当。今は元請けのインディーズアニメ企画製作会社、アニメ制作会社を作るべく奮闘中です!
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後漢の荀彧は荀子の13世の末裔なの?【正史で検証】
▲荀彧(じゅんいく)163年~212年
そもそも後漢の荀彧の事績はどこに書いてあるの?
後漢~三国時代の人物の事績を調べるなら正史三国志でしょう。
曹操の幕僚長として献帝の教育係や秘書長を勤めた荀彧は、魏書の中に伝があります。
さあ読んでみましょう。
ん?
んん?
荀彧、字文若。
潁川郡潁陰県の出身であること。
南陽の顔役・何顒が幼少の荀彧を見て、イイネ♪って言ったこと等が書いてありますが
肝心の荀子の末裔とわかる記述は
ありません。
魏書荀彧伝ライトな完訳読みたい方、いいサイトありますぜw
拙著(ブログ)→「橘美郁注 荀彧伝注釈」魏書01
https://xunyuzhuan.blogspot.com/2020/07/01.html
しまった!じゃないほうか!
もういっこのほうだったか~~
荀彧は後漢末に活躍した人物なので後漢書にも伝があります。
気を取り直して
さあ読んでみましょう。
ん?
んん?
またもや
荀子の末裔とわかる記述はありませんでした…
≪完≫
後漢書荀彧伝ライトな完訳読みたい方、いいサイトありますぜw
拙著(ブログ)→「橘美郁注 荀彧伝注釈」後漢書01
https://xunyuzhuan.blogspot.com/2020/08/01.html
えー--!!こんな引っ張ってグダグダのまま終わるの?
と思ったアナタ!
安心してクダサイ、書いてます!
実は荀彧伝じゃなく祖父・荀淑伝に「荀子11世」の子孫であると記述あり
荀彧も有名だけどその祖父・荀淑も地元の名士として有名
荀彧本人以外に明確に血のつながりがある、荀家の人物はいないのでしょうか?
本人の伝ではなく祖父・荀淑伝を見てみましょう。
荀彧も有名ですがその祖父・荀淑も地元の名士として有名でした。
時の権力者・外戚(皇帝の親戚)梁冀の自己チュウにお前そりゃあかんやろとマジ喧嘩し、
官職を投げ捨て故郷に帰ったらしいです…
(血は争えませんね、荀彧様w)
荀淑は商売の才能もあったみたいで帰郷後は地元で実業家として成功し、家族親戚は経済的に潤っていたそうです。
そんな荀淑は郷里の人々から「神君」と呼ばれていました。
この一族ホントスゴイな…
ですので後漢書の中には荀淑伝があります。
荀淑伝の冒頭に
荀子11世の子孫という記述がありました!!
ここから荀彧は荀子11世の、さらに孫ということで荀子13世の子孫であるとわかります。
▲荀子(荀況)B.C.298年?~
なぜ本人の伝に荀子13世の記述がないの?編者フィルターのせい?!
本人の伝に記述がないのは陳寿フィルターのせい?!
正史三国志が完成した頃、当時の王朝・晋(西晋)は魏から禅譲されて帝位を受け継いでいました。
正史三国志の方は晋の正当性を保つため「魏の功臣」であれば偉大な祖先について記述できたけど、「魏の功臣」にカウントされていない荀彧をそこまでよくかいてあげられないというオトナの事情があったかなと考えられます。
正史三国志を編集した陳寿は元蜀漢の官僚だったため、
蜀を滅ぼした魏を内心よく思ってないフシがあり、実質的元勲である荀彧をあまり目立たせたくなかったのかなとも思います。
書物が成立した時期としてはは後漢書の方が後になりますが、
もう一つのヒント・後漢書が成立した当時、メイン編集者の范曄の時代は南北朝時代の宋朝でした。
宋朝が晋(東晋)から禅譲されて帝位を受け継いでいたため宋の正当性を保つため、後漢書の方は「魏の功臣」であれば偉大な祖先について記述できたけど、「魏の功臣」にカウントされていない荀彧をそこまでよくかいてあげられないというオトナの事情があったかなと考えられます。
どっちにしても…
書いたってくれや!!!ww
記述がないのは直系ではなく傍系だから?祖父・荀淑までが直系だった可能性
記述がないのは直系でなかったから?荀淑より前の世代は記載がない
荀家の人物で荀淑より前の世代は後漢書には記載がないようです。
昔の人は兄弟が多い傾向があるので系図すべての人を「〇〇の末裔」にカウントしてたら
末裔だらけになっちゃいますもんねw
ちなみに漢の中山靖王・劉秀さんは孫の代で子孫120人越えと言われているので
10代先の末裔と言ったら何千?何万人といたかもしれないですね。
荀淑の親(荀彧の曾祖父)が長男で、その先の祖先もずっと長男だったとしたらその子たち荀淑は荀子直系10世の子孫になります。
荀淑は字を季和といい、当時の兄弟順を示す言葉・伯仲叔季の法則からいくと四男にあたり、荀彧の父荀緄も8人兄弟の真ん中なので、直系ではなく傍系になっています。
そのため直系じゃないし、あえて書かなくてもいいと判断されたのかもしれない。
そう考えたら孔融の孔子直系20世の子孫てめちゃくちゃ「映え」ますね」w
孔融のドヤ顔が目に浮かぶようw
最も直系でなくても他の武将で〇〇の後裔とかでざっくり記載されてる人物もいるので正直
直系か傍系か?だけの問題じゃないような気もしますけどね。
正史なくても荀という姓がそもそも珍しいので名字だけ見ても末裔っぽい
前漢にも約100人ちょっと「荀」さんがいたかもしれない
最後にめちゃ感覚的なお話をしますw
現在21世紀初頭の名字ごとの正確な人口統計は見当たらなかっですが、
お隣台湾では現代で「荀」姓が50人ほどいると言われています。
台湾の総人口は約2500万人なので、
台湾では45万に1人の確率で「荀」さんに会えるということ。
一方、中国では人口約14億人なので仮に台湾と同一比率であれば
約3000人「荀」さんがいるということになりますね。
ちなみに前漢の頃は統一王朝で割と平和な状態であったため、総人口5000万人超だったといわれています。
こちらも仮に同一比率で考えると約100人ちょっと「荀」さんがいたということになる。
えっ?!100人ちょっとなの?
って思いませんでした?
これだけ小説やらゲームやらでしょっちゅう「荀」さんの名字を見ていると
珍しい名字とはいえもっといそうですよね。
それだけ目立つ家柄、優秀だったということでしょう。
一生のうちで何かしらの接点を持ち出会う人は約3万人いるといわれています。
45万人に1人のいるかのレア苗字で、ほんとなら人生15回くらいやんないと会えない苗字なのに
すごく身近に感じるのは不思議なかんじがしますね♪
結論。
≪苗字が一緒なら多分どっかで繋がってるんだよ≫
まとめ方雑だなあ…
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